沿線シリーズ⑥かやぶきと変電所跡の金沢八景

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都心には珍しい萱葺き屋根の家。南北朝時代にあった円通寺の客殿だったとか

   沿線シリーズで神武寺、六浦と逗子線をたどってきたので今回は金沢八景駅について書いてみたいと思います。現在、駅前はつい最近までは昭和の面影を残していましたが、再開発がされ2016年度には京急金沢八景駅も橋上駅舎となりシーサイドラインも乗り入れて接続が便利になるとのことです。数年のうちには駅前も大きく様変わりするものと思われます(それにしても私の乗降する金沢文庫駅前は何十年と変化がない、泣きです)上り線の山側を見るとかやぶき屋根の家や古い建物があり対象的な感じがします。

 
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京急の前身、湘南電鉄の第1号変電所の建物

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壁につけられたマーク(家紋?)


 

 

 

 

金沢八景駅は昭和5年4月に湘南電鉄(現、京浜急行電鉄)が黄金町から浦賀と金沢八景から湘南逗子までを開通した時の分岐駅で当時から2面4線のホームがあり主要な駅でした。写真の白い建物はその時建てられた第一号の変電所です。現在は横浜市大の踏切の横に設備は移され機能はなくなりましたが京急の歴史建造物として保存されているのではないかと思います。壁のところに丸いマークのようなものが書いてありますが私の想像でしかありませんが金沢八景の八角形と北条氏の家紋ミツウロコをかけ合わせたのではないかと思いますが、詳しくご存知の人は教えて下さい。この建物はぜひいつまでも残しておいて欲しいものです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  左側には線路の下にトンネルがありそこをくぐると谷戸になっており江戸時代、金沢藩米倉氏の陣屋があったとのことで[お屋敷]と呼ばれていました。現在では線路沿いに六浦橋の原宿線のガードのほうにぬける道がありますが以前は行き止りのようでした。平成22年5月からは快特も停車するようになり益々便利になっています。もう一つ、京急本線と逗子線との分岐点にある六浦橋ガードですが、開通当時は本線には踏み切りがあり、逗子線はガードになっていました。昭和21年に逗子線と同じ高さのガードに改良され、現在のようにコンクリートになりました。
戦時中金沢小学校(当時は国民学校)に通学していた頃年に2-3回行軍と称して朝比奈の鼻欠け地蔵へ行ったことがあり踏切を通った記憶があります、
 

 

2014年7月26日