京急、一部の形式車輛廃止の話題

 京急800形、2000形が廃止。

 京急では塗装された2017年度の1000形の8連1200番代、6連1600番代の増備が進み、4月1日現在800形はまもなく、2000形は3月29日に全廃となりました。マニア的の話は鉄道誌に任せるとして、オールドフアンとして登場時の思い出など書いてみました。

800形は京急創立80周年の昭和53年(1978)年に普通車用として3両編成、片側4扉で登場、現在の赤に窓周り白の塗り分けの最初の車輌で、初のワンハンドル操作の運転台、冷房車として窓は固定されていました。(その後製造された車両は開閉式窓になる)高加速、高減速のため、特急電車のスピードアップにも貢献しました。その後、乗客も増加してきたので、3両の中間車の増備や、3両の片側の運転台を撤去し全車6両編成になり昭和61年(1986)までに132両が製造されました。昭和54年(1979)に鉄道友の会から通勤形としてのローレル賞を受賞しています。2000形登場により赤と白帯に塗色の変更がありましたが、823号車は2011編成と共にオリジナルカラーにもどされ最後まで運転をされました。当時の思い出として801編成は試用のためかサングラスの様な色の付いた窓ガラスを採用してカーテンを省略していましたが客室が暗い感じで、のちに普通のガラス窓になってしまいました。

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登場時の3連の800形

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オリジナル塗装のマークを付けた800形(H28年堀之内)

 

 

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終焉に近い赤に白帯の800形          

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ローレル賞受賞記念乗車券

 

 2000形最後の一編成の2011~2018が3月24日に最後のエアポート急行の運転、25日にさよなら運転をして29日に廃車となりました。奇しくも当日は1217~の白い電車が綜合車輌から出庫してきた日でした。2000形は快特用の2代目600形に代わり昭和57年12月27日(1982)に登場した京急では初の両開き2扉の車輌でドア間に中央に向かって2人掛けシートと両端に4人掛け(中央も)のボックスシートを設けていました。また、関東地区では珍しくオフラッシュ時に一人でも多く座れるよう補助椅子も設けられていましたが車掌さんがなかなか開放してくれず赤ランプが消えるのをじっと見ていた記憶があります。当時は今ほど鉄ちゃんも多くはありませんでしたが、登場前から京急にすごい新車が出るとフアン仲間では大騒ぎされ、私も待ちきれずに東急車両(現・綜合)の垣根越しに見に行きました。登場時は1編成だけで、運転時間に合わせて乗りに行ったりしていました。昭和62年(1987)までに8両編成と4両編成各6本72両が製造され、主として快特運用で大いに活躍し、昭和57年度(1982).の鉄道友の会からブルーリボン賞を受賞しました。年末ぎりぎりに登場したので驚いたものです。昭和59年2月15日に今上天皇が皇太子時代の時、浦賀での新日本丸進水式の帰路品川までご夫妻で2016号にご乗車されています。前年58年5月にも学習院中等科の遠足で紀宮清子内親王がご乗車になっています。

H10年京急100周年を迎え、より性能、居住性の良い2100形が登場、2000形は快特用の主力を譲りましたが、経年も浅いため、両端のボックスシートを残し、中央にドアを増設3扉ロングシートに改造され、塗色も赤に白帯となりました。正面が非貫通のため地下鉄線には入れないため、4連は先に廃車となりましたが、8連は晩年、主にエアポート急行に使用され、登場時のリバイバル塗装に戻された第1編成が最後まで残りました(空港線の天空橋~羽田空港国内線ターミナルは地下線ではなくトンネルになっているそうです)

3月25日9時半過ぎ、さよなら運転の貸切電車を見に、撮影スポットの上西柴バス停の処に行ったら、若いファンが30人位撮影に集まっており、遠くは小田原からきた学生もいました。皆オリジナル車両を知らない世代ばかりでした。新車が出ることにより、旧型車が廃車になるのは仕方ない事ですが、昔からのフアンとしては寂しい限りです。

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製造中の2000形(金網越しに東急車両を見る)S57年11月ごろ

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試運転中の2000形(佐藤良介氏より提供)

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登場時の頃の室内

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快特運用の2000形

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さよなら運転のマークを付けた貸切電車 H30/3/24と25

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2000形完成記念乗車券

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ブルーリボン賞を受賞した時の記念乗車券

 

 

2018年4月25日