総合車輌をでてきた1201号

金沢八景駅に向かう最後部の1208号
12月14日、金沢区の綜合車輌から京急の新車が出るというので見に行ってきました。正門の前には鉄道フアンが大勢出庫を待ち構えていました(私もその一人ですが)驚いたことに新車は正面と乗降ドア以外は真っ白で、金沢八景―金沢文庫―京急久里浜―久里浜工場と回送されて行きましたが、沿線で見た人はさぞびっくりされたことと思います。
京急のニュースによると、2007年から出たステンレス車は一部を除き、フイルムによりラッピングをしていましたが、京急らしさを取り戻すため、久里浜工場で11年ぶりに塗装をするようで2月には営業運転をするようです。京急は2018年に開業120年を迎えるので、タイミングよく新車のナンバーは1201~1208の8連で登場しています。尚、今年度中までに(2018年3月末)あと2回見られる様ですので、見損なった人は京急のホームページに注意してみては・・・ただし金沢文庫―京急久里間です。

正面、ドアの一部以外は真っ白な車体

総合車輛をでてきた1201号
パッションフルーツ! 収穫しました。

自動ドア付近に、なっていました

和名 クダモノトケイソウ(果物時計草)
今年のゴーヤは、グリーンカーテンならぬ、レースのおんぼろカーテン状態でザンネン!でした。
そのとなりで、花も実も楽しめると期待されたパッションフルーツ。地道に大きくなり11月になっても青々としています。残念ながら、結実したのは、たった1こでした。完熟すると茶色になるというので、今か今かと待っていましたが、突如行方不明に!! 台風に飛ばされた? もしや からす???
根元を良く見ると、・・・・落ちてました! 完熟すると自然落果するとのこと。

ちょうど卵ぐらいの大きさ、つやつやです。包丁を入れたとたん、ぱあっと広がるトロピカルな甘い香り。さすが完熟、市販のものよりずうっと甘くて、美味。
多年草ですので、来年に乞うご期待
ハイ特、海特、ラ・メール号などの名称
先日、近鉄特急が70年を迎えたというニュースが話題として取り上げられていたので、京浜急行(以下京急」の特急運転を始めたのはいつか調べてみました。

金沢文庫にも停まり誰でも乗ることができたハイキング特急灯台号
1948年(S23)京急は戦時中の大東急時代から分離独立しました。戦争が終わり平和な時代が訪れると三浦半島や房総鋸山周辺は、東京から日帰りできる観光地として大勢の人が訪れるようになりました。京急も昭和25年から、急行の復活、春秋の休日に観光客を運ぶハイキング特急(以下ハイ特)が運転されましたが、普通電車を追い越せるところは学校裏(現・平和島)と金沢文庫、八景にしかなくのろのろと走り特急とは名ばかりのものでした。
1951~52年(S26~27)にかけて500形というロマンスカーが登場し(といっても中央にボックスシートが6脚あるだけでしたが)、同時期に、子安、上大岡に待避線が出来、ハイ特もスピードアップされ、房総号、三崎号、城ケ島号、油壷号、白秋号(房総号以外は久里浜、逗子行もありました)などの名前が付けられ、行く先により周遊券を買うと往復の座席が指定され現在のパック旅行の様なものが運転されました。品川を出ると主に川崎、横浜に停車しましたが品川―浦賀ノンストップの運転もあり、房総への乗客の多い時は第4房総号など運転されました。当時は、大島行路、金谷航路は浦賀港より出ていましたのでそれに連絡していました。ハイ特は金沢に住んでいる私には縁のないものでしたが、その他に周遊券を買わなくても誰でも乗れる、観音埼灯台や(灯台号)鷹取山への(鷹取号)という片道だけの特急があり金沢文庫にも停まり、それぞれ馬堀海岸、神武寺からのハイキング客が利用していました。

金沢海岸に1軒だけ残った海の家、真夏には右端まで並んでいた

海水浴客でにぎわう逗子海岸駅
昭和28年夏からは7~8月の日曜日には海水浴客のための海水浴特急(以下海特)が品川―逗子海岸(現在は京浜逗子と統一され新逗子になっている)に朝夕10分間隔位に運転され多くの人を運びました。昭和41年には三浦海岸駅まで線路が延びてそちらのほうにシフトされましたが、モータリゼーションの時代と共に、海水浴客も少なくなり、また京急も都営浅草線へ乗り入れになるようになり、いつのまにか廃止となりました。

海水浴帰りの乗客を乗せて品川へ向かう海水浴特急(そろそろ道路の混雑も始まっている)1965年夏ごろ

浦賀駅に着いた週末特急パルラータ号、帰路の品川行 横須賀中央、金沢文庫、横浜、京浜川崎に停車した
ハイ特も海特もどちらも天候が悪いと運休になりましたが、もう一つ当時土曜日は多くの企業が半ドンだったので1956年(S31)3月から毎週土曜日の昼過ぎ品川発12時40分と13時40分(後に時間変更もありましたが)に天候に関係なく週末特急が運転され、浦賀から大島行路に連絡するラ・メール号(仏語で海)房総金谷航路に連絡するパルラータ号(伊語で語らい)というしゃれた名前がつけられていました。現在の快特より停車駅の少ない、川崎、横浜、金沢文庫、横須賀中央の4駅だけでした。当時は昼間の時間帯には特急運転がなく私も通勤帰りによく利用しました。ラ・メール号は品川発車の時、同名のシャンソンが流れて、これは駅メロの初めではないかと自分では思っています。当時、上大岡は通過でしたが、今の発展ぶりには驚きです。都営乗り入れに際し手が快速特急が運転され、上大岡にも停まる様になり、週末特急がそのルーツではないかと私は思います。
そのようなことで京急の特急運転の初めは1950年で近鉄に遅れること3年となるのではないかと思います。(年表については京急100年史を参考にしました)
川口市に保存されている230形電車
先日、友人の息子さんが川口市に保存されている京急の230形の写真を送ってくれました。この電車は、京急の前身である湘南電鉄が昭和5年に開業した時のデ1型のナンバー6号車で、昭和23年に京浜急行電鉄として独立した時、230形となったものの1両です。同じ形の車体で、当時の京浜電鉄でもデ71形として作られ、最大、湘南京浜合わせて55両となり、当時は京浜が電圧600Ⅴ、湘南が1500Ⅴであったため、両方を直通運転できるよう複電圧装置を付けていました。

川口市児童公園の236号

私は戦前に金沢で生まれていますので湘南(戦前はそう呼んでました)に乘って、横浜の方に行くとき、屏風ヶ浦のトンネルを抜けると急にスピードが遅くなったり、夜は一瞬真っ暗になったりして、後で知ったことですがここで電圧の切り替えをしていたようで、品川―浦賀を直通運転できるのは、この系列の車輌だけでした。

改造前の230形(金沢文庫付近)

復元されたデ1形(久里浜工場、佐藤良介氏撮影)

改造後の230形(佐藤良介氏撮影)
230形は戦後の混乱期にも戦災で被害を受けた車両を除き、52両が大活躍をしました。その後、昭和38年から39年にかけて大きな改造もされましたが、昭和53年に京急発祥の大師線を最後に全車引退しましたが、久里浜工場、川口市と関水金属に各1両が、油壷マリンパークに2両が展示され(のちに解体)また14両が高松琴平電鉄で再活躍をして、最後の車輌は平成19年に廃車になるまで活躍しました。久里浜工場に保存されている車輌は京浜デ51形と共に製造当時の原型に復元されていますが(年1度の京急フェスタの時にそばで見られます)川口市の電車は雨ざらしのため、見るも無残ですが、廃車と共に解体されたものより、多くの人に見られ幸せだったかもしれません。川口市は引き取り手を探していたようですが、京急が引き取り、里帰りをするようで、横浜に本社が移転する時に展示されるようで、その時は立派に復元されることを期待しています。(U)

高松琴平電鉄の元京急230形(柴橋達夫氏撮影)
今、京急電車から目が離せない
2016年2月に1000系のマイナーチェンジ車の正面左右対称の貫通ドア付きの4両編成1800番台が、11月には6両編成の1600番台が登場して、また今年2月21日には8両編成の1185~1192が登場しました。(1600代と同じですが8連は1177~の通し番号になっています)8両編成を含め、これらの車輌はステンレス製ですが窓周りも白くラッピング塗装となり、従来のステンレス車の一部無塗装から京急本来の姿となりました。

またこれで1000番台は8連の1001~1192、6連の1300番台1600番台、4連の1400番台、1800番台と、1000系グループと1500系(1700,1900を含む)と1200番台を除く番号がそろいました。1000系はその都度改良を重ね、アルミ製、ステンレス製などあり、今度の車輌は16次目マイナーチェンジ車となるそうです。
京急は2018年に創立120年を迎えますので、1200台は番号をとっておいて新車が出るのではないかと期待が持てます。他にもブルースカイトレイン、ハッピーイエロートレインなどあり、2000形も1編成が2013年に登場時の塗装に、800形も昨年11月から823の編成がリバイバル塗装で登場し話題は豊富です。しかし鉄道友の会からS57年にローレル賞をとった800形、S58年にブルーリボン賞をとった2000形も40年近く使用されたので仕方がありませんが、それぞれ新車が出るたびに廃車になってゆくのは残念です。リバイバル塗装も最後のお勤めの化粧直しなのでしょうか。

1600番台が登場したので見に行きました
京急の新車1600番台(車両の先頭に表示された車両番号)の1601~1606の6両編成が11月7日に金沢八景の綜合車輌から出てきましたので見に行ってきました。
前照灯がLED照明になりました
1000番台の車輌は地下鉄線直通用に規格されています。8連のほか4連、6連、それにアルミ製やステンレス製があり、いろいろマイナーチェンジをしています。1001から始まる8連車両のほか6連の1300番台、4連の1400・1800番台など多彩です。今回新登場の1600番台は今年度中に(29年3月まで)もう一本の6連と8連が登場するとのことです。この1600形はステンレス製ではありますが、前回紹介(3月にこの欄に投稿した「幌で車両をつなぐことが可能に」の記事)した1800番台と同様に赤と白の塗り分け(ラッピングだからなんといえば・・・)となっています。外観はほとんど変わってはいませんが、前照灯をはじめLED照明が多く使用されています。
携帯などの充電が可能になりましたが
そして大きな変更としては、従来のステンレス車は車内のすべてがロングシートでしたが、登場車は車端部の片側(千鳥型)にボックスシートを配置し、補助いすも設けられています。11月16日に営業運転が始まりましたので早速乘ってみました。今までになかった大きな変更点として、ボックスシートの窓の下には携帯電話やパソコンにも充電ができるよう誰でもが使用可能な100Ⅴのコンセントが付きました。ボックスシートの片側は優先席になっていますが、このコンセントを高齢者が使うかどうか? 又、若い人が着席使用時、高齢者が側に来たときに果たして席を譲ってくれるかどうかが心配です。

「新金沢八景」のひとつに数えられていた「西柴通りのさくら並木」、倒木の恐れから6年前に現在の「ジンダイアケボノ」に植え替えられました。
あれから6年、大きく見事の成長し、美しい通りをよみがえらせてくれました。


ちょっと6年前と比べてみました


アキ薬局さん付近から撮影

この時はまだ添え木添え木だけでした

美しく成長
片吹交差点付近から
![img_0526[1]](http://sakurachaya.moo.jp/wp-content/uploads/2016/04/img_05261-300x224.jpg)

幌で車両をつなぐことが可能に
2月24日午前に総合車両から京急の新車がでるというので見に行ってきました。横浜市大前の踏切のところには、大勢の鉄ちゃんがカメラを構え出場を待ち構えていました。中には鉄子さんも見られました。今回の新造車は形式は従来の1000型ですが、4両編成で正面真ん中に貫通したドアをつけて、幌で2両編成をつなぐと8両編成として地下鉄線にも乗り入れができるようになっており番号も1801~となりました。また今までのステンレス車は窓周りがむき出しでしたが、白いフイルムで従来の伝統色になりました。

総合車輛から出場してきた1801号

貫通幌でつながれている
屛風ヶ浦までの計画がありました
市営地下鉄は現在湘南台―あざみ野の1号線、3号線を直通運転しているブルーラインと4号線、日吉(東急東横線連絡)-中山(JR横浜線と連絡)のグリーンラインの計53㎞で運転されています。尚、2号線は京急の混雑緩和を図るため、神奈川新町から屏風ヶ浦にかけて計画されましたが、京急が民鉄初の12両運転をしたりして、輸送力の増強したため、その必要がなくなり取りやめています。

横浜市交通局 「ハマっ子の足70年」より転載
どうやって地下に入れたのでしょう
昭和47年(1972)3月31日に市内の道路上を縦横に走っていた市電が全線廃止され、同12月16日に伊勢佐木長者町-上大岡に地下鉄が部分開通しました。伊勢佐木長者町とは長い駅名ですが出来たときに伊勢佐木町か長者町にするかと争いがあり両方の名前をつなげたとのことです。この間は全線地下ですが、当時はやった地下鉄漫才ではありませんが車輌はどうやって入れたのでしょうか? 現在、鎌倉街道の蒔田駅の上、真ん中に草の生えた小さな土を持ったところが残っていますが、そこからクレーンで車輌を入れたようです。
関内駅の2と4番ホームはありません
関内駅は重層構造(2階建て)となっており、1番線と3番線のホームだけで2・4番線がありません。これは当初あざみ野からの線路が本牧方面へも延長され利用する予定でしたが、みなとみらい線が出来たために競合するとして埋め立て廃止となったためです。もし、線路が残っていたなら改良して追い越し線とすれば快速ももっと早くなったのではないかと残念です。二層構造になっているところは上大岡、弘明寺間にもありますが、その理由は分かりません。
駅番号はここが普通鉄道では初 
今では、JRも含めてどこの鉄道でも駅番号がついていますが、長崎の路面電車(長崎電軌)が採用したのが初めてですが、普通鉄道としての採用は市営地下鉄が最初で2002年に日韓FIFAワールドカップ開催と開業30周年に合わせて湘南台の1番からあざみ野の32番までつけられました。 当時は番号だけでしたが現在はブルーラインは番号の上にB、グリーンラインはGを付けています。ちなみに京急はKK00と付けています(金沢文庫はKK49です)。
市営地下鉄は、ゆずりあいシート
また2003年12月1日から乗客のモラル向上を呼びかけ、先に実施した阪急電鉄の全席優先席に次いで市営地下鉄でも採用しましたが、座席を譲ってもらえないとの苦情もあり2007年12月から阪急では座席の色分けなどしてやめてしまったので、いつのまにか同じような運命となりました。市営地下鉄ではシルバーシートとは言わず「ゆずりあいシート」としています。
初代車両が「幸浦」に保存
もう一つ金沢区幸浦・資源環境局金沢工場に、地下鉄の初代1041号車両が保存されていますので、リネツのプールやお風呂に行くことがあったら是非ご覧になって下さい。
西柴 秋だより
日焼けした子供たちのランドセル姿が街に戻ってきました。そして、街に秋がやってきました。 先日 ボランティアで小学校に行きました。そのとき、「せんせい~ 校庭で栗みつけたよ。緑色で とげとげで・・」「小さい秋、見つけたんだね。」という、会話が聞こえてきました。
西柴界隈で見つけた 秋のいろいろ・・・

ご近所の葡萄棚。いつも、丹精込めて世話をしていらっしゃいます。
あまい香りがただよって、葡萄がたわわに実りました。 カラスとハクビシンと人間、美味しい物は奪い合い。

秋の七草のひとつ、葛。この花も 甘い香りがします。
崖沿いの道を歩いていて、ふっと甘い香り、そして足元に赤紫のはなびらをみつけたら、ちょっと上を見上げてください。
これぞ、秋の草。すすきも穂を出しています。風に揺れる姿は、見ているだけで爽やか。 今年は 9月27日(日曜日)が十五夜です。
銀杏並木にも、銀杏が実っています。
